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東京高等裁判所 昭和47年(行コ)86号 判決

控訴人(原告) 梅津庄喜 外一名

被控訴人(被告) 社会保険庁長官

主文

原判決を取り消す。

被控訴人が控訴人らに対し昭和四三年九月二〇日付でした被保険者梅津庄一の死亡に対する船員保険法四二条ノ三第一項に基づく遺族一時金の不支給決定処分はこれを取り消す。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張、立証関係は、左記に付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

一  控訴人の主張

1  庄一は、本件転落事故当時機関室の火災当直を割り当てられていた。そしてかかる当直者は夜食をとるために離船上陸することを認められていた。従つて庄一が夜食をとるため離船上陸し、夜食をとつた後帰船のため本件タラツプを昇り上船する一連の行為はまさに従属労働関係によつて拘束された結果の限定された行動形式ないし状態に当たる。庄一が本件タラツプを昇り帰船上船する行為には庄一の私的行為と評価されるような事情はなにもない。従つて庄一の右行為は「職務」に当たることは明らかである。

2  しかして、夜食をとるために下船した行為の中に恣意・逸脱の行為があつたとしても、当該労働者(本件では庄一)が全体としてなお従属労働関係に拘束されている場合は右恣意・逸脱行為の介在にかかわらず右下船行為は「職務」と解すべく、仮にそうでないとしても当該恣意・逸脱行為のみが職務に付随的な行為からの離脱、すなわち私的行為と評価されるだけであつて、前記のごとく夜食をとるため下船する行為自体が職務に付随する行為とみられる以上、右私的行為を除いたその余の行為は付随的な行為として船員保険法四二条の三第一項にいう「職務」に該当するものと解すべきであり、右私的行為の介在することをもつて下船行為全体を職務離脱行為とみるべきではない。

3  また、職務に付随する行為は、本来の担当職務を論理的に前提として成立することはいうまでもないところであるが、時間的にこれを前提とするものではないと解すべきである。このことは、本来の担当職務につく前の準備行為が本来の担当職務に付随する行為に当ること一つをみても明らかなところである。しかして職務から逸脱ないし離脱した私的行為が介在した場合、なにをもつて「職務」に復帰したとみるべきかは、従属労働関係によつて規定された行動形式ないし状態に復帰したかどうかによつて判断されるべきものである。本件についていえば、庄一が「夜間当直業務」それ自体に復帰しなければ「職務」復帰が認められないというのではなく、それ以前の「本来の担当職務に付随する行為」に復帰すれば、その時点で「職務」復帰が認められると解すべきである。

4  要するに、本件については、庄一が本件タラツプを昇つていた行為は職務遂行性が認められるとしなければならない。すなわち本来担当する機関室の火災当直業務それ自体ではないけれども、右職務に付随する行為として職務に当たるからである。夜食をとることは、本来担当する職務に付随する行為であつた。夜食をとりに離船上陸した以上は、本件タラツプを昇つて上船帰船することは当然に必要な行為であるし、上船帰船するためには本件タラツプを昇る方法以外にないのであるから、夜食をとる行為に不可欠な行為である。

一方本件タラツプは第一二天社丸から岸壁にかけられていたもので、第一二天社丸の乗組員および同船の点検修理に従事する業者だけが上船、離船するために使用していたものであつて、右以外の第三者の利用に供されていたものではなかつた。なお同船は常石造船株式会社第六号ドツクに入渠していたのであるから、第三者が右ドツク周辺に近づくということすらあり得ないことであつた。第一二天社丸の乗組員は、上船し勤務につくためには、本件タラツプを昇らなければならず、勤務終了後も本件タラツプを降りなければ、自由な私的生活の領域に戻ることはできない関係にあつた。すなわち船員は船内において従属労働関係の拘束から完全に解放されるということはあり得ないからである(たとえば船員法二一条等参照)。従つて本件タラツプは第一二天社丸と一体をなすもので、同船の乗組員にとつては、職場施設ないしそれに準ずるものであつた。

かくて第一二天社丸の乗組員が船内勤務につく目的で本件タラツプを昇りはじめればその行為は従属労働関係によつて拘束された行動形式ないし状態に該当することは明らかである。いいかえれば、本件タラツプを昇る行為はそれが完全な私的行為でない限り、乗組員が本来担当する職務につく前の「準備行為」、「必要行為」であるばかりか、「避けられない行為」であり、「担当職務に当然付随する行為」に該当する。まして、庄一の場合は、夜食をとる行為自体が付随行為として「職務」に該当するわけであるし、本来の職務につくため帰船する手段として本件タラツプを昇る行為には私的行為と評価される事情は一切ないことは明らかなので、「本来担当する職務に付随する行為」として「職務」に当たることは当然である。

5  なお、庄一が必要最少限の時間で夜食をとつて帰船のため本件タラツプを昇る行為と比較した場合、相違する点はただ時間が遅れているというだけであつて、他に異なる点はない。要するに、差異は遅刻したということにあるが、しかし本件タラツプを昇る行為が遅刻したということで職務遂行性を失ういわれはない。すなわち所定の時間に本件タラツプを昇ろうが、遅刻して昇ろうが、その行為自体は従属労働関係に拘束された行為であることに変わりはないからである。

6  また、庄一の本件転落事故による死亡は、本件タラツプの不備すなわち職場施設に起因するものである。そして職場施設に起因するということは、職場施設における危険要因の具体化であればよく、ちよつとした気の緩みや身体の均衡を失うことが、直ちに転落死を招くという程度の瑕疵でもよいのである。従つて身体が吹きとばされる程度に風が吹いていたかどうかというがごときことは問題外であるし、安全衛生規則に適合していたかという点は、事業主の責任を追求する場合はとにかく、職場施設に起因するかどうかの判定に当つては職務起因性を否定する事由とはなり得ないのである。

庄一は、本件タラツプから第一二天社丸に上船するには、ブルワークにあがつて、それから、船内におりる小さなタラツプに移らなければならなかつた。まさに、ちよつとした気の緩みや身体の均衡を失えば転落する危険が包蔵されていたのである。しかもロープは固定されていないから、これに身体をもたせかければ、たわむことは物理的に明らかであつて防護の役をなさなかつた。

そうであつてみれば、庄一の本件転落事故に因る死亡は職場施設に起因するもので「職務上の事由」によることは明らかである。

7  これを要するに、本来、職務と災害との関連は、労働者が従属労働関係に規定され、限定された行動形式ないし状態にたたざるを得ないということが災害の一因となり条件として作用したという事実があれば足りるのであつて、その場合作用した災害の原因が職務に内在的か、随伴的か、偶然的かは関係がないのである。

労働者が職場施設にいるということは、それが私的目的ないし私的行為による場合を除けば、従属労働関係によつて拘束されている状態にほかならない。しかしてそこで災害が発生した場合は、それが積極的に私的行為によるものと認められない限り職務上の災害に当る。現に職務遂行中であろうと休憩中であろうと、始業準備前であろうと後始末終了後であろうと、従属労働関係に規定され拘束されていることに変わりがないからである。

かくて庄一は、本件転落事故当時火災当直を命じられており、本件タラツプは職場施設に当たるから、庄一の本件転落事故が私的行為によるものとの反証がない本件においては、右は「職務上の事由」によるものであることは明らかである。

二  被控訴人の主張

1  控訴人の前項主張は全部争う。

2  仮に庄一の本件転落事故につき職務遂行性が認められるとしても、本件においては職務起因性が認められないので、本件不支給処分には違法な点はない。

庄一の本件転落事故は、本件タラツプおよび当時の気象状況のもとで、これが発生する危険性というものは一般的にみてまずなかつたとみるのが相当であり、また本件においては犯罪の疑いは全くない。

しかりとすれば、考えられることは、庄一自身に本件転落事故を招く原因があつたのではないかということであり、たとえば突然身体の具合が悪くなつたとか、正常な歩行状態を保てない程度に酒に酔つていたとかがそれである。

その点について本件全証拠を検討してみると、庄一は本件転落事故発生の当夜かなり飲酒しており、酩酊していた事実が十分推認される。突然身体の具合が悪くなつたというようなことは、健康体であつた庄一についてはまず考えられないことであり、また仮にそのようなことがあつたとしても、本件タラツプの巾は約一メートルもあり、またタラツプの両側には約一メートルの間隔で鉄の支柱が立てられ、高さ約八〇センチメートルのマニラロープの手すりが張つてあつたのであるから意識不明となつて倒れても直ちに海中に落下するというがごときことは普通はあり得ない。酒に酔つていれば足もとがふらつき、タラツプから足を踏みはずすということは十分あり得ることである。しかして庄一は前記のごとく本件転落事故発生の当夜かなり飲酒し酩酊していたものであり、右事故はその飲酒、酩酊の結果発生したものといわざるを得ず、結局本件転落事故とその職務との間に職務起因性を認めることはできない。以上の次第で本件不支給処分には違法な廉はないというべきである。

理由

一  庄一の本件転落事故当夜における職務、庄一が夜食をとるために下船した後における同人の行動、本件転落事故の態様、右事故発生当時における本件タラツプや天候の状態等並びに庄一が夜食をとるために離船上陸し町の食堂で夜食をとり、帰船する行為はすべて庄一の夜間当直業務に付随する行為であるとの点については、当裁判所の判断も原判決のこの点に関する理由説示(原判決書第一〇枚表第二行目より同第一六枚表第二行目の「当直業務に付随する行為である。」とある部分までの記載部分)と同一であるから、ここにこれを引用する。

二  ところで、前記認定のごとく庄一は、当日午後六時ごろから午後七時ごろまでの間に夜食をとるために離船上陸し、午後一一時ごろ帰船するに際し本件転落事故に遭つたものであるから、その離船時間は四時間ないし五時間に及ぶものである。そして通常夜食をとるため離船上陸する場合には、第一二天社丸の入渠していた第六号船渠から食堂までは僅々五分ぐらいで行ける関係上、一時間前後で帰船するのが通例であつたから、庄一の夜食のための当該離船時間は一般のそれに比して著しく長きに失し、この間庄一が前記のごとく飲酒等をしていた事実に徴すれば、庄一の右時間中における行動には本来の夜間当直業務に付随する行為(夜食をとる行為)から逸脱し、これを中断したものがあつたとみるほかはない。しかしながら、庄一はその後帰船の途につき、本件タラツプを昇つたものであるから、少なくとも本件タラツプを昇り始めた時点においては庄一は右の夜間当直業務に付随する行為に復帰したものとみるを相当とする。

三  しかして本件タラツプは前記認定のごとく入渠中の第一二天社丸に出入するための唯一の通路として附属せしめられた施設である以上、右船舶とともにこれと一体をなした職場の一部として使用者の管理下にあるものとみられ、庄一はかような使用者の施設管理下において前記夜間当直業務ないしこれに付随する行為をなしていたとき本件タラツプから転落したのであるから、右転落事故による庄一の死亡は、反証のない限り右職務に起因して生じたもの、すなわち船員保険法四二条ノ三第一項にいう「職務上の事由」に因つて生じたものと推定すべきである。そして庄一は前記のごとく夜食のための離船時間中に飲酒したことを窺い得るが、これが本件転落事故の起因となつたと認めるに足りる証拠のないことは前記のとおりであり、他に右推定を揺がすに足りる反証はない。

四  以上の次第であるから、被控訴人のなした本件不支給処分は違法であつて取消しを免れないところである。よつて本訴請求は正当としてこれを認容すべく、当裁判所の右判断と結論を異にする原判決は不当であり本件控訴は理由があるから、民事訴訟法三八六条に則り原判決を取り消し、訴訟費用の負担につき同法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 久利馨 井口源一郎 舘忠彦)

原審判決の主文、事実及び理由

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一申立て

一 原告ら

被告が原告らに対し昭和四三年九月二〇日付でした被保険者梅津庄一の死亡に対する船員保険法四二条ノ三第一項にもとづく遺族一時金の不支給決定処分はこれを取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

二 被告

主文同旨。

第二主張

一 原告らの請求原因

(一) 原告梅津庄喜は訴外梅津庄一(以下、単に庄一という。)の父であり、原告梅津梅子は庄一の母である。

(二) 庄一は、昭和一七年九月一九日生まれの男子であるが、昭和三六年一〇月一日訴外神原汽船株式会社に船員として採用され、同日船員保険法にもとづく船員保険の被保険者の資格を取得し、昭和四一年七月四日から貨物船第一二天社丸の機関員として勤務していた。

(三) 第一二天社丸は昭和四一年一一月二四日から中間検査のため広島県沼隈郡沼隈町大字常石所在の常石造船株式会社第六号船渠に入渠していたが、同月三〇日午後二時ごろから出渠準備のため右船渠に海水が注水された。庄一は、同日第一二天社丸の機関部修理作業に従事し、同日夕方から翌日にかけて同船の夜間当直業務に服するよう機関長から命ぜられていた。庄一は、右三〇日夕方食事のため離船上陸し、同日午後一一時ごろ帰船する際同船のタラツプから右第六号船渠内に転落し、溺死した(以下、本件事故という。)。

(四) 原告らは昭和四一年一二月船員保険法四二条ノ三第一項にもとづき庄一の死亡に対する遺族一時金の請求を被告にしたところ、被告は昭和四三年九月二〇日付で庄一の死亡と職務との間に相当因果関係が認められないとして遺族一時金の不支給決定処分(以下、本件不支給処分という。)を行なつた。

(五) 原告らは、本件不支給処分に対し同年一一月一八日広島県社会保険審査官に審査請求をしたが、同年一二月二六日付で棄却されたので、昭和四四年三月三一日社会保険審査会に再審査請求をしたところ、昭和四五年三月三一日付で棄却された。

(六) しかし、本件不支給処分は違法であるから、その取消しを求める。

二 請求原因に対する被告の答弁

請求原因(一)ないし(五)の各事実は認める。

三 被告の主張

船員保険法四二条ノ三第一項にもとづき庄一の死亡に関し遺族一時金を支給するためには右死亡が職務上の事由によるものであることが必要であるところ、庄一の死亡は次に述べるとおり職務に起因するものとは認められないので、本件不支給処分は適法である。

すなわち、庄一が船渠へ転落する際渡つていたタラツプは、巾約一メートル、船まで四ないし五メートルで、勾配が約三五度、踏さんがしてあり、両側にはマニラロープの手すりがついており、付近は照明も十分であるから、通常人が落ちる心配はなく、安全性に欠陥はなかつた。しかも、本件事故当日の午後一一時の平均風速は松永測候所の測定によれば北西の風毎秒三・五メートルであり、気温は低かつたが視野を妨げる降雨、降雪もなかつたので、気象条件が転落の原因であるとは考えられない。したがつて、転落の原因は庄一自身に求めざるをえないところ、庄一は本件事故当日夜間当直業務を命ぜられていたにもかかわらず、午後六時から午後一一時まで約五時間にわたつて第一二天社丸を離れ、その間多量に飲酒し、めいていのうえ帰船するにあたり、誤つてタラツプより船渠へ転落したものと思われる。右にみたとおり、庄一の死亡は自ら招いた災害であるというべく、職務に起因するものとは認められない。

四 被告の主張に対する原告らの答弁および反論

(一) 被告主張の事実は否認する。

(二)(1) 船員保険法四二条ノ三第一項にいう職務上の事由により死亡したというのは、職務と死亡との間に因果関係があること、すなわち、職務起因性が認められることを意味する。この職務起因性の認定の道具概念として職務遂行性という概念が用いられる。職務遂行性とは、労働者が労働契約にもとづき事業主(使用者)の支配下にあること、つまり労働者が労働契約にもとづき使用従属関係のもとにあることを意味する。このような意味の職務遂行性の存在が職務起因性の前提条件となつており、職務遂行性が認められなければ職務起因性はなく、したがつて職務上と判定されることもないのに対し、職務遂行性が認められる場合には職務起因性が推定され、職務起因性を否定すべき反証がないかぎり職務上と判定される。

(2) そこで、庄一が職務遂行中に死亡したものであるかどうかについて考えるに、庄一は死亡当夜夜間当直業務に服し、第一二天社丸の機関室内の火気の看視にあたつていた。そして、このような夜間当直者は夜食をとる制度になつており、船渠へ入渠中の船内では夜食を提供しないため、夜食をとるためには船外へ出て適時町の食堂で食べるようにと指示されていた。したがつて、夜間当直者が夜食をとること、そのために離船することは夜間当直という職務の内容に含まれるかあるいはこれに付随する行為である。本件事故は、庄一が夜間当直業務に従事中夜食をとるために離船し、帰船するに際し後述のとおりタラツプを昇りつめたあたりで船渠内へ転落したために発生したものであつた。すなわち、庄一が夜食をとり終り帰船する途中に発生した事故であるから、本件事故は職務遂行中に発生したものというべきである。もつとも、被告の主張によれば、庄一は午後六時ごろから午後一一時まで約五時間にわたつて離船していたというのであるが、仮にそうであるとしても、夜食のための離船時間は規制されていたわけではなく、かなり大目に見られていたのであり、夜間当直業務の主たる内容である火気の看視は機関室内で作業中の業者が退船した後にとくに重要となるのであるから、右看視に支障がないかぎり、夜食のための離船時間が長時間にわたつても、いまだ夜間当直業務を怠りあるいは放棄したとみるべきではない。仮にそうではなく、夜食のための長時間の離船が職務離脱とみられるとしても、その後帰船のためタラツプにさしかかつた時点においては再び職務に復帰したものと解すべきであり、タラツプ上の行為は職務遂行中の行為と解すべきである。

以上のとおり、本件事故は庄一の職務遂行中に発生したものである。

(3) 本件事故が職務遂行中に発生したものであるとすれば、前述のとおり職務起因性が推定されるところ、本件においてはこの推定を否定する反証はない。本件事故現場のタラツプのかけられていた状況の平面図は別紙図面のとおりであり、岸壁より第一二天社丸のブルワークにかけたタラツプより直接船内に降りることはできず、右タラツプの右側にブルワークから甲板に小さなタラツプをかけ、ここから船の甲板へ降りるようになつていた。タラツプには支柱があつて支柱の頭部は輪になつており、ここにロープが通されていたが、ロープと支柱が結びつけられていたのは両端の支柱のみであり、中間の支柱は輪を通してあるだけだつたので、ロープにもたれるとたわむようになつていた。岸壁からブルワークにかけたタラツプよりブルワークから甲板にかけたタラツプに移るには、ブルワークに足をかけて渡るしかなく、ブルワークの巾は二五センチしかなかつた。ところで、本件事故当夜は船渠の埃を巻き上げるぐらいの風が吹いており、一時霰も降つていた荒れ気味の天気であつたが、庄一が岸壁からブルワークへかけたタラツプよりブルワークから甲板へかけたタラツプへ移ろうとした際、突風により体のバランスをくずし、よろめき、船渠内へ転落したものである。すなわち、本件事故は、タラツプの不備と突風が吹いていたという条件下で起きたものであつて、職務に通常付属する危険から生じたものといえるから、職務に起因するものというべきである。

(4) 以上のとおりであるから、庄一の死亡は職務上の事由によるものといわなければならない。

第三立証〈省略〉

理由

請求原因(一)ないし(五)の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

本件不支給処分の適否は、もつぱら庄一の死亡が職務上の事由によるものとはいえないかどうかにかかつているので、この点について判断する。

成立に争いがない甲第一ないし第三号証、同第四号証の一ないし三、同第五号証の一、二、同第六号証、乙第四号証、同第五号証の一、二、原本の存在ならびに成立に争いがない乙第二号証の一、二、証人出口三郎、同江戸助雄、同伊藤泰、同栗本秋夫、同栗末一美および同宮市信矣の各証言ならびに原告梅津庄喜本人尋問の結果に前記当事者間に争いがない事実を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 庄一は、本件事故当夜夜間当直業務を命ぜられ、これに服していた。右業務の内容は、第一二天社丸の機関室内における火気の見張り、とくに右機関室内で夜間作業をしている業者が作業を終えた後の火気の注意にあつた。夜間当直者には夜食をとることが一般に認められており、第一二天社丸内では入渠中のため食事を提供しないので町の食堂で夜食をとるようにと指示されており、夜食代として二〇〇円ないし三〇〇円が支給されていた。夜食をとる時刻は大体午後八時前後となつており、夜食をとるための所要時間、すなわち離船時間についての指示はなかつたが、第一二天社丸の入渠していた第六号船渠から食堂までは五分前後で行けるところであつたので、一時間前後で帰船するのが通常であつた。

(2) 本件事故当夜第一二天社丸の機関室内で作業に従事していた業者は七社ほどあるが、そのうち神原製鋼株式会社は午後五時に作業を終了し、備後工業株式会社ほか二社は午後七時に、山陽工業株式会社は午後一一時にそれぞれ作業を終了しているが、日ノ出工業株式会社と三宝工業株式会社の作業終了時刻は不明である。

(3) 庄一は、本件事故当夜夜食をとるため午後六時ごろから午後七時ごろまでの間に離船上陸し、午後一一時ごろ帰船するに際し本件事故にあつた。その間の庄一の行動については、午後八時前ごろ同僚の伊藤泰が夫婦で宿泊していた谷荘という旅館へ訪ねて来て話をしながらビールを飲み(その量については、証人伊藤泰はコツプに一、二杯と証言し、証人出口三郎は一本ないし一本半ぐらいと伊藤泰が言つていた旨証言している。)、約二〇分ないし三〇分して帰つて行つたことおよび午後一〇時ごろ船寿飲食店付近で同僚の若岡利秋が庄一に出会い、午後一〇時一〇分ごろさざなみ旅館の前で同僚の越智光明が庄一に出会つていること以外は必ずしも明らかでない。庄一が右谷荘を辞する時の状態は酒に酔つているという状態ではなく、また、若岡や越智が庄一に出会つた時の感じでは変つた様子は感じなかつたとのことである。庄一の変死体は本件事故の翌日である一二月一日午後六時三〇分ごろ発見されたが、その報告を受けた広島県警松永警察署の警察官たち六名はただちに本件事故現場へ赴き、庄一の死体を見分するとともに、庄一の死亡前の足取りにつき聞込み調査をした結果「庄一は本件事故当日の午後六時ごろ同僚の機関員伊藤泰らと四人連れで第一二天社丸の入渠していた常石造船所前のすしよし食堂へ行き、食事をとりビール二本位を飲んだ。他の三人が他へ遊びに出かけたので、庄一は一人で約三〇分位テレビを見た後そこを出て同僚が夫婦で宿泊している近くのさざなみ旅館へ行き、ともに二本ビールを飲んだ。それから午後九時三〇分までの約一時間の行動は不明であるが、その後ことぶき食堂へ一人で行きうどん一杯を食べており、その際にはすでにふらふらするほどめいていしていた。しかし、おとなしくそこを出てさらにすしよし食堂へ行きコツプ酒一杯を飲み、そこからさらに近くのあづまや食堂へ行つたらしく、午後一〇時三〇分ごろ福山から帰つて来た同僚若岡利秋ほか一名があづまや食堂前で西方へ向けて歩きかけていた庄一に出会つている。」との情報をえた。庄一の死体からはすしよし食堂のマツチが出てきているので、右聞込み情報のうち庄一がすしよし食堂へ行つたという部分は真実ではなかろうかと思われるが(もつとも、本件事故当日以前に庄一がすしよし食堂へ行つていないという証拠はないので、本件事故当日以前にすしよし食堂のマツチをもらつていたという可能性も残る。)、伊藤泰は、証人尋問の際、庄一らと四人ですしよし食堂へ行つたことはなく、庄一の方から午後八時前ごろ伊藤夫婦の宿泊していた谷荘へ訪ねてきたと証言しているので、右聞込み情報のうち、庄一が伊藤泰らと四人ですしよし食堂へ行つたとの部分は真実ではないのではなかろうかと思われ、右聞込み情報のその他の部分についても、現在においては、それが真実であるかどうかを確かめることは困難である。

(4) 本件事故現場にかけてあつたタラツプの平面図はおおむね別紙図面のとおりであつた。岸壁から第一二天社丸のブルワークにかけて巾約一メートル、長さ五メートルから一〇メートル位までの間の板のタラツプが三〇度位の勾配でかけられており、そのタラツプの両側には一メートル位の間隔で鉄の支柱がたてられ、その支柱の頭部は輪になっていて、そこにマニラロープが通され手すりとなつていた。もつとも、マニラロープは両端の支柱にのみ結びつけられており、中間の支柱は頭部の輪を通してあるだけだつたので、幾分たわむような状況にあつた。タラツプの板には四〇ないし五〇センチの間隔で踏さんがつけてあつた。岸壁からブルワークへかけたタラツプより直接甲板へ降りるのではなく、そのタラツプの右側に小さなタラツプがブルワークから甲板へかけてあり、そこを降りて行くようになつていた。ブルワークの巾は二五センチないし三〇センチあり、岸壁からブルワークへかけたタラツプの船へ向つて右側のロープが船内にある小さなタラツプの方まで延ばしてあり、ブルワークの所の渡りもロープが張つてあつた。タラツプの付近には照明設備があり、夜間の通行に支障がない程度の明るさであつた。中国海運局尾道支局の船員労務官栗本秋夫が本件事故について監査した結果では、本件事故現場にかけてあつたタラツプは船員労働安全衛生規則に定める基準に適合しており、不備な点は認められないとのことであるが、同人の作成した災害発生時監査報告書には「造船所の労務安全担当者との連絡を図り入渠中の船舶に使用するタラツプの下にロープのネツト使用について依頼したい」旨の意見が付されている。

(5) 本件事故当時の天候は曇で、かなり強い風が吹き、寒さも厳しく、雪か霰がちらついていた。もつとも、体が風に吹き飛ばされるといつた程度のものではなく、また、タラツプに霜もおりていなかつた。なお、本件事故現場より四キロメートル余り離れた松永測候所において本件事故当時である午後一一時に測定したところによれば、北西の風、風速毎秒三・五メートルであり、気温は午後九時が四・八度、午後一二時が二・九度であつた。

(6) 庄一はタラツプより第六号船渠内へ転落して溺死したのであるが、左眼角の部位に長さ四センチ、深さと巾三センチ位の傷があり、左頬や鼻にも擦過傷があり、腹には海水をあまり飲んでいなかつた。また、第一二天社丸の甲板員である木原修ほか一名が本件事故当夜の午後一一時二〇分ごろ本件事故現場を通りかかつた際、岸壁よりブルワークへかけたタラツプの上端近くに薄黄色のスリツパの片方を見かけている。これらの点から考えれば、庄一は右タラツプの上端近くから転落し、舷側の突出物で左顔面を打撲し、意識不明のまま海中へ落ちて溺死したとする庄一の死体を診断した塙本宇一郎医師の推定には合理性があると思われるが、庄一がタラツプより転落した状況を目撃した者はなく、いかなる状況のもとに転落したのかその詳細は明らかではない。

以上の事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

右認定の事実にもとづいて考えるに、庄一は本件事故当夜夜間当直業務に服していたが、夜間当直者には夜食をとることが一般に認められているというのであるから、夜食をとる行為は夜間当直業務に付随した行為というべきである。そして、第一二天社丸は入渠中のため船内で食事ができず、町の食堂で夜食をとるようにと指示され、夜食代として二〇〇円ないし三〇〇円が支給されていたというのであるから、夜食をとるために離船上陸し、町の食堂で夜食をとり、帰船する行為はすべて夜間当直業務に付随する行為である。ところで、夜食をとるための所要時間、すなわち離船時間についての指示はなされていなかつたというのであるが、夜食をとるために通常必要とされる合理的な時間に限り夜間当直業務に付随する行為と解すべきであり、合理的な時間をこえた場合にはもはや夜間当直業務に付随する行為ではなく、夜間当直業務から離脱した私的な行為と解すべきである。右合理的な時間は食堂の位置や一般の慣行等から決めるほかはないが、第一二天社丸の入渠していた第六号船渠から食堂までは五分前後で行けるところであり、一般に一時間前後で帰船するのが通常であつたというのであるから、その程度の時間をもつて合理的時間の一応の基準と考えるのが相当である。庄一は本件事故当夜の午後六時ごろから午後七時ごろまでの間に夜食をとるために離船上陸し、午後一一時ごろ帰船するに際し本件事故にあつたというのであるから、その離船時間は実に四時間ないし五時間に及び、夜食をとるため通常必要とされる合理的な時間をはるかにこえていたものといわなければならない。右離船していた時間に庄一がいかなる行動をとつたか必ずしも明らかではないが、午後八時前後ごろに同僚の伊藤泰の宿泊していた谷荘でビールを飲んでいることは事実であり、いずれにしろ夜食のため通常必要とされる合理的な時間をこえた以降、すなわち遅くとも午後八時ごろ以降は夜間当直業務を離脱した庄一の私的行為と解すべきである。しかも、庄一が夜食をとりに離船上陸したころは、まだ第一二天社丸の機関室内においては業者が作業に従事していた(山陽工業株式会社は午後一一時に作業を終えている。)。夜間当直業務の内容は機関室内における火気の見張り、とくに機関室内で夜間作業に従事している業者が作業を終えた後の火気の注意にあるというのであるから、夜食をとるため離船するにあたり業者がまだ作業をしている場合には、夜食がすみ次第できるだけ速やかに帰船するのが夜間当直者の義務であり、これをせずに四時間ないし五時間もの間離船すること、しかもビールを飲んだりすることは自らに課された夜間当直業務を放棄したものと評価されてもやむをえないというべきである。ところで、本件事故は、庄一が四時間ないし五時間船を離れ、したがつて夜間当直業務を放棄しあるいは離脱した後に帰船するに際して起きたものである。庄一の帰船行為は夜間当直業務へ復帰しようとしている行為とみることができるが、現実に夜間当直業務へ復帰したものではなく、それ以前の行為であることは明らかである。夜間当直者が夜間当直業務の付随行為とみられる夜食をとりに出かけ、途中より夜間当直業務を放棄しあるいは離脱した場合には、現実に右業務に復帰しないかぎり、たとえ右業務に復帰しようとしてそのために必要な行為をしている場合であつても、もはや右業務に付随する行為をしているものと評価することはできず、業務復帰直前の行為ではあるがいぜん業務離脱中の行為として評価するほかはない。したがつて、本件事故は職務遂行中に生じたものということはできず、庄一の死亡と職務(すなわち、夜間当直業務およびこれに付随する夜食を食べに行く行為)との間には相当因果関係がないと解すべきである。

原告らは、庄一がタラツプより転落したのはタラツプの不備、すなわち、タラツプの両側の手すりのロープがたわむようになつていたことと突風が吹きそのため体のバランスをくずしたことにもとづくものであり、それは職務に通常付属する危険から生じたものといえるから、庄一の死亡は職務に起因するものというべきであると主張する。タラツプの両側のロープが幾分たわむような状態にあつたことは前記認定のとおりであるが、両端の支柱とロープとは結びつけられて固定されていたのであるから、庄一が転落した地点(そこはタラツプの上端近くであること前記認定のとおりである。)付近でもたわんでいたかどうか必ずしも明らかではなく、また、本件のタラツプが船員労働安全衛生規則の基準に適合していたと判断されたことは前記認定のとおりである。さらに、前記認定のとおり、本件事故当夜はかなり強い風が吹いていたが、体が風に吹き飛ばされるといつた程度のものではなかつたというのであり、本件事故当時突風が吹いたことを認めるに足りる証拠はない。結局、原告らの主張は理由がない。

してみれば、庄一の死亡は職務上の事由によるものとはいえないから、本件不支給処分は適法である。よつて、これが違法であるとしてその取消しを求める原告らの本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

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